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ホイットニー·ヒューストンの歌声と人生を様々な角度から巡るブログ「ホイットニー3D」

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Whitney in Russia

2月11日は歌手ホイットニー・ヒューストンの命日だ。2012年グラミー授賞式前日の突然の死から10年目を迎え、彼女の功績が再評価され始めている。今年は伝記映画年末リリースを始め、ミュージカル制作や複数のTV ドキュメンタリー、写真家のマーシャルによるデビュー時のホイットニーを撮影した「Y0ung Whitney」等、ホイットニーに関するプロジェクトが目白押しである。

私は2000年から2006年まで、3D-Whitneyというホイットニーのファンサイトを運営していたが、この度改めてWhitney3d.comとして再開することにした。

以前はニュースやツアーの様子を翻訳したり、サイトに来てくれた方たちとのコミュニケーションも楽しんでいたが、2005年からホイットニーのドラッグの問題が深刻化。元夫ボビー・ブラウンの暴力など、ネガティブなニュースが中心になってきたため、ニュースをアップデートするのを止め、その後サイトもクローズしてしまった。

その後のホイットニーの束の間の復活、映画「スパークル」の制作、そして2012年の第54回グラミー賞前日の突然の死までの経過は皆さんもご存知であろう。

これを読む方の中に、1985年デビュー当時のホイットニー、そして(「ホイットニー節」と日本のメディアに呼ばれたゴスペルにルーツを持つ)彼女のパフォーマンスを目撃した方はいるだろうか。

どこまでも伸びる高音と圧倒的なパワー。完璧なメロディーの解釈力とフレージング。歌詞と自分の感情を重ね合わせる才能。3オクターブのレンジ。

その笑顔といい、完璧なスタイルといい「彗星のように現れた」という表現がまさに当てはまる存在だったのである。

だが一方、爆発的な成功と同時に、大きな期待と責任を背負ったホイットニー。彼女は「家族」「宗教」「セクシャリティ」「ドラッグ」「音楽業界」「人種」がもたらす全ての矛盾の狭間に置かれていた。常に妥協を強いられた彼女は、自分自身を失って徐々に失速していった。

彼女が真に輝いた時期は短かく、功績を軽視する意見は多い。だが、ホイットニーはビヨンセやアリシア・キーズをはじめ、全てのアフロ・アメリカンの女性シンガーのために道を切り開いた真のパイオニアなのだ。

日本はドラッグ文化がないため、一線を超えたアーティストに対して非常に厳しい。同時に、多くのファンがホイットニーの失墜の裏にあった事情を知らない。晩年に向け、彼女と日本のファンの関係が希薄になっていたのは残念だ。日本はホイットニーのお気に入りの国の一つだったから。

それにしてもホイットニーの存命中、アメリカが同性愛に関して今(2021年)と同じ位オープンだったら、ホイットニーはまだ存命していただろう。信じられないほどゆっくりだけれど、私達は少しづつ前進しているのだ。

このブログではホイットニーのレアな音源紹介、ミュージシャンやシンガーを目指している方の為の記事から、古いインタビューまで、幅広い内容をカバーしている。その全てがホイットニー・ヒューストンの才能とヒューマニティ、そして偉大な功績を理解するのに繋がってくれれば嬉しい。

ビヨンセや他の黒人の女性アーティストがチャートのトップを飾る、そんなことはホイットニーがデビューするまで決して起きなかった。当時、黒人女性アーティストのために歴史を変えたのがホイットニーだった。そしてその代償を払ったのも彼女だった。

それなのに、この世界に彼女が残した貢献について
感謝する気持ちは、一体どこにあるの?」

ー パティ·ハワード(バックグラウンド·シンガー)」

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