時計の針が1時間戻った3月の土曜日の夜、友人のブルースに誘われ、ハウスのレジェンド、DJ Kerri Chandler/Joe Claussellのパーティーに行った。3月にしては寒い夜だった。場所はブルックリン・ウイリアムズバーグ外れにある「ノックダウン・センター」である。パンデミックのせいもあり、こういうハウス・ミュージックのパーティーに行くのは久し振りだ。
G.L.A.A.D.(メディアやエンターテイメントを通じてLGBTQのイメージ向上を図る団体)でPRをしているブルース。60歳の誕生日を迎えるとのことだが、40代にしか見えない若さだ。彼は踊るのが大好きで、良い音楽とパーティをよく知っている。聞けばこの日もこれが二つ目のパーティーだと言う。
還暦のお祝いにクラブへ行くと言う話は日本で滅多に聞かないかもしれないが、ニューヨークではザラだ。ブルースを見ると自分の好きなものを早く見つけて楽しむのが、一番近道で人生を豊かにする方法なのかと思う。
ノックダウン・センターは100年以上前にガラス工場だった建物構造を残して作られたイベント・スペース。パフォーミングアーツやコンサートなど多目的に使用されている。今回使われたメインフロアには天井の梁に木枠が組まれたエリアがあって、そこにスピーカー類が集中している。そのためその木枠の中で踊るとサウンドの微細な刺激までモロに体に伝わってきて、木枠の外と音の体感度が全然違う。太いビートに体を突き動かされる。
良いパーティーの特徴はスタイリッシュに決めたシニアからノンバイナリーのキッズまで、皆がハッピーになれるインクルーシブな雰囲気があることだ。同じフロアをシェアする他の人間達に対するリスペクトとエネルギーをシェアする態度も。そしてこの日のパーティーにはそれらがあった。結局、私達は朝5時近くまで踊った。
そんな帰り道、私の頭は突然過去の記憶に飛ぶ。
思い出すと、私は子供の頃、「ディスコ」に憧れがあった。大音量で洋楽ヒット曲が流れ、ミラーボールが眩しく反射するフロア。その中で若く美しい男女が汗を飛び散らしながら踊る。カップルがキスを交わし、笑いさざめき、めくるめく時を過ごす場所。映画やテレビで見たそうしたシーンが幼き自分の脳裏に「若き性と自由の象徴」として強烈に焼き付いたのだろうか。
私が高校生の頃(90年代前半)になると呼び名が「クラブ」に変わった店もあるが、二つの違いはお抱えDJがいるかいないかできまるらしい。「ディスコ」と呼ぶと人に「クラブでしょ」と訂正されるようになったのは大学入学以降の話だ。
踊るのは好きだが、私にはダンスの経験はない。唯一小学5年生の時に、学年全員が運動会で踊った「長崎はねこ踊り」という演目で全体のリーダーを務めたことくらいである。リーダーをやらされた理由は、宿題とされている日記を提出しなかった罰として、担任より押しつけられたからであり、ダンス力を買われての話ではない。
「長崎はねこ踊り」は飛んだり跳ねたり、いくつかのルーティーンを繰り返し踊る単純なものなのだが、「はねこ踊り」と呼ばれるだけあって、きちんと踊るとその運動量は相当のものだった。真剣に踊っていると、周りが気にならなくなり、トランスに近い感覚に見舞われる。運動会当日、私は完全に「はねこ」と化していた。私の踊りは迫力があって素晴らしかったと後で数人の先生に褒められた。
私のダンスに関する素質はその時に実証された...と言えば大袈裟だが、少なくともその時、自分の体を音楽に合わせて動かすことに快感を感じたと言える。
さて、高校1年生になったしばらくした頃、私は当時バイトを始めた三軒茶屋にあったカフェ「キャニップ」の控室で、先輩カンダのディスコ経験について熱心に耳を傾けていた。
カンダは一年上の先輩で、中学時代女子バレー部の副キャプテンをしていたとかで、色白で大柄、気が良いのと同時に「親方風」の貫禄がある。カンダも数回しかディスコに行ったことはないらしい。私はそのひとつ一つの経験について、詳しい説明を要求した。
私は進学校と呼ばれる都立高校に入学したが、入学後しばらくすると勉強することに突然興味を感じなくなった。そして次第に自分が興味を持ったことしかやらなくなっていく。当然それは惨憺なる成績という結果で徐々に現れた。
一方慶応高校に通っているカンダは、私たちの間で常にインテリだった。友人のTとカンダに控え室で「ダンスフロアで自由を体いっぱい感じたいのだ」的にディスコに対する情熱を話していると、マネージャーやその他も会話に加わって、そんなに行きたいのなら、じゃ今週の金曜日にでも仕事の後でみんなで行こうか?との話になった。
私は張り切った。初めてのディスコであるからして、服装に関してもそれなりの傾向と対策を練らなければならない。私が高校1年の頃のイカしたファッションとは紺のブレザーにボタンダウンのシャツ、そしてベルボトムのジーンズにウェスタンブーツをシャープにキメるというものだった。
フーム。友人T によれば、ベルボトムのジーンズはタータンチェックのパンツでも代用可能であるという。私は紺ブレ、ボタンダウンとタータンチェックは調達したが、ウェスタンブーツには手が届かない。そんなものを履いて家に帰ったら、母親が卒倒するだろう。
ブーツは調達できない旨を伝えるとカンダは言った。「でもブーツは大事よ」
私は家の下駄箱の奥に、ツヤツヤ光る新品のゴム長靴を見つけた。大雨の日にジャプジャプと水を蹴って進めるような頼もしいやつである。ソールの部分はブーツのそれに似ているので、チェックパンツの裾で他を隠せばわからんべ、と思い付き、試してみるとなかなか良い感じ、十分にブーツで通じそうだ。素材がゴムなためツヤツヤと光沢があり、意外に高級感がある。ブーツが私の足よりだいぶ大きく、ダブダブしていたが、これで強行突破することにした。
さて、当日キャニップで、カンダとTにゴム長であることを伝えずに足元を見せると、二人は「いいね!」と興奮した。だがチラリと裾をめくってイカしたブーツの正体を暴露すると腹を抱えて笑っている。
私は一気に盛り上がった。早くディスコの初体験を済ませたい。私はせっかちなのだ。時計を見ると、まだ6時半だった。しかし店は6時にオープンしているはずである。
だがディスコ経験のあるカンダは言った。「ちょっと早すぎるんじゃない?誰もいないと思うよ。私達は仕事上がって8時半過ぎに行くわ」
もう待てない。シフトがなく、きかん坊の私はカンダの言葉を無視し、飛鳥のように身をひるがえしキャニップを出た。そして一人で「ディスコ」へ向かったのである。
キャニップから数分歩いたところにある雑居ビルの地下にそのディスコ(名前はもう忘れた)はあった。階段を下り、入り口で黒服を着たお兄さんに迎えられる。入場料を払うと、兄さんは「一名様です」とヘッドセットで中にいるスタッフに私の入店を伝えている様子だ。
兄さんが手をかざすと壁の一部が開き、入り口になった。兄さんは言った。「どうぞお楽しみください」
入り口をくぐると中は薄暗く、メタリックな筒状のトンネルになっている。意外なほど長いそのトンネルを歩いていくと、ミステリアスにも途中でUターンしている。Uターンを曲がり、トンネルの突き当たりまで歩いてみたが、そこにはディスコへの入り口らしきものは見つからない。先程の兄さんのように手を振ってみたが、ドアが開く気配はない。そうなると、暗い中、何をすれば良いのかわからない。怖くなってきた。私は一瞬途方にくれた。
ふと見ると、暗いので気づかなかったが黒い壁の一部がドア枠のように開いていて、黒いゴムの帯が上から下に何本も張り渡されている。これが入り口なのだろうか。他には何も見えないのだからそうに違いない。答えは見つかるだろう。黒ゴムの帯をかき分け、私はその中へ踏み込んでいった。
そこも暗かったが、突き当たった奥に非常口の明かりがぼんやり光っているのが見える。とにかく、そこまでたどり着こう。看板がいくつも重ねられていて、通り抜ける私の邪魔をする。ほうきやらモップやらも壁に立て掛けられており、倒さないように気をつけながら歩かねばならない。段ボールが積み上げられた隙間をカニ歩きで進行。これがホントに入り口なのか、という疑惑が一瞬走ったが、他にはどこにも入口はなかったではないか。
なんとかドアらしきものにたどり着き、開けようとするが、それもギシギシいって中々開かないのである。
一体これはなんなのだ。焦りで力任せに押したら、いきなりドアが開いて、勢いで体が店の中に飛び込んだ。そして気づけば私は空っぽのダンスフロアのお立ち台の頂点に立っていたのである。
店のスタッフもさぞや仰天したことだろう。いつまで経っても現れない客を心配してドアの前で待機していたら、その客が誰もいないフロアのお立ち台の、最も高いところに忽然と登場したのだから。いや爆笑したかったに違いない。ちゃんとした入り口は別にあり、私はおそらくパフォーマー用の出入り口兼倉庫に迷い込んでしまったのだ。
だが、そんな登場の仕方はグレース・ジョーンズでもない限り歓迎されない。引き返すわけにもいかず、私は自分自身に舌打ちをしながら、取り付けられた梯子をのそのそとくだり、フロアへ下りた。
スタッフが近づいてきて、大丈夫ですか的なことを聞かれ、大丈夫ですと答え、のそのそと席へ着くと、何飲みますか的なことを聞かれ、ジンジャーエールで的なことを答えた気がするが、記憶が朦朧としている。よく覚えていないのは先ほどの「華麗な参上」により、恥ずかしさで頭がいっぱいで、周りで起きていることを記憶に留める余裕がなかったからだ。
スタッフは登場した時点で私が「ディスコのど素人者」である事を見抜いたはずである。私のことを見て、笑いを噛み殺しているのに違いない。そんな想いが私の体を固くする。しかも「ど素人アワー」としか呼びようのない時間帯に参上してしまった。ああ恥ずかしい。カンダに忠告されたじゃないか。
こうなってくると自分がこっそり長靴を履いているくせに、ブーツを履いた振りをしていることにすら気になってくるものだ。だが、ここでオチてはいけない。私は踏ん張った。「格好」をつけるために、吸いたいとも思っていないタバコを次から次へとふかし、飲みたくもないジンジャーエールを啜り、まもなく友人たちが入ってくるかのように振る舞った。だが彼らが店に来るまでには2時間ある。あー早すぎた。一体どう時間を潰せばいいのだ。
その時代はもちろん携帯などはないから、手元に時間を潰すものは何もない。「ど素人」の私を監視するスタッフの視線を背中に感じつつ、フロアに空虚な目を向けた。誰もいないフロアはゴビの砂漠ごとく広く見えた。ミラーボールが作り出す光のパターンを目で追い、音楽に合わせて少し頭を揺すった。他に一体何ができるのだ。その後の2時間はとこしえとも思えるほどの長さだった。
今の私は当時の私が笑い話なのを嬉しく思う。歳をとることの良さは、自分の中の滑稽さを認め、周りと一緒に笑う余裕が出てくることだ。同じことが仮に今、自分に起きても、例えそれがどんな洗練された場所であったとしても、それほど動揺する事はないだろう。
やれスタッフが見てるだの、ゴム長だの、誰も覚えちゃいないし、16歳がこの世で気にしなければならないほど大切な事はあまりないのだ。
8時半を回った頃に、やっと友人Tやカンダ、他のスタッフやマネージャー達がワラワラと入ってきて、私の周りは急に賑やかになった。他の客もポツポツ現れ出した。皆でお疲れの乾杯をした後、フロアに出て踊った。ダンスが上手なのは誰一人いなかった。
私がイカしたブーツの正体を見せると、みんなが笑い転げた。楽しい夜だった。マネージャーはダブダブのゴム長を履いて、バコバコ音を立てながら飛んだり跳ねたりを繰り返す私を見て、「お前はいつもなんでそんなに元気なんだ?」と呆れたような顔で言った。