ニューヨークのポップ・カルチャーを代表するアーティスト、といえばアンディ・ウォーホールを思いつく方も多いのではないだろうか。絵画ばかりでなく、マリリン・モンローやキャンベル・スープの版画、バンド「The Velvet Underground」のプロデュースや、映画制作も手掛けた60年代から80年代を代表する時代の寵児である。そしてこの写真の赤いペイントが印象的なこの建物は、かつてウォーホールが住んでいたものだ。
ウォーホールは不動産に関しても鋭い目を持っていた。1959年にウォーホールが6万ドルで購入したレキシントン・アベニュー沿いの一軒家(1342 レキシントン・アベニュー )は2013年に550万ドル(6.3億円) で売却されている。続いて1972年に22.5万ドル(2600万円)で購入したバケーション地として名高いモントークの所有地と集合ビルは驚異の5,000万ドル(58億円) で売却。*文中のドルと円のレートは2022年3月現在のもの
元々60年代初頭、ウォーホールは母親と25匹の猫とすぐそばにある、89ストリートとレキシントン・アベニュー沿いの一軒家に住んでいた。だが、家の中で制作活動も行っていたため、すぐに家が作品で一杯になってしまう。友人が当時使われていなかったこの赤い建物の存在(159 イースト 87ストリート)を教えたところ、ウォーホールはアイデアを気に入り、ニューヨーク市に住居としての使用嘆願書を提出している。
この赤い建物は以前消防署だった建物に住居用として手を入れたもので、ウォーホールが移り住んだ時には水もガスも通っていなかった。当時ウォーホールはわずか150ドルの家賃でこのビルに住んでいたらしい。そして、このビルも2018年に990万ドルドル(11.5 億円)で買い手が見つかっている。
ウォーホールがこの建物に住んでいたのは1962年から63年の1年間だけで、その後ミッドタウンに引っ越ししている。だが、この短い間に彼の著名作の一つ「キャンプベル・スープ」の版画シリーズが誕生した。
このビルは2019年まで賃貸物件であったが、その後は美術商(Wildenstein & Co)によって倉庫として使われているらしい。因みに2015年にはウォーホールがサインしたこの建物の賃貸契約書がサザビーズによってなんと1万3,750ドル (150万円)で落札されている。ニューヨークは本当に極端な街だと思わされるニュースだ。